金沢旅行③近代建物探訪〜金沢城周辺にある政治と教育と軍の中心だった

寄生妻日記
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ぴーやん夫婦の金沢旅行記、第3回からは古都・金沢の歴史を形成する建物をご紹介します
金沢市は近代建築が数多く残る街です
茶屋街、城下町のイメージで日本家屋を想像してしまいますが、実は洋館も多いんです!
ぴーやん夫婦は主に金沢城周辺エリア、尾張町エリアの2カ所を巡りました

今回は金沢城周辺エリアです
この界隈の建物を辿っていくと、金沢の官公の中心が見えてきました
現在は役割を変えて文化の中心になっています

石川近代文学館・石川四高記念館(旧第四高等中学校本館)

1891年に完成した旧第四高等中学校本館です
ナンバースクールは“八高”まであったが、そのうちの一つ

第四高等中学校は1949年に金沢大学に編入され幕を閉じますが、この建物は引き続き金沢大学の理学部棟として使用されていました
その後裁判所や博物館、文学館として利用されたのち、2008年に現在の記念館へリニューアルしています

国指定重要文化財にもなっています
山口半六久留正道が設計を担当し、イギリス積みの煉瓦が特徴的
使用されている煉瓦は地元で焼かれたもので当時は異例でした

煉瓦は正門と本館で色が違っているよ
おそらく正門は当時のままではないかな

現在は、一つの建物の半分が石川近代文学館(有料)でもう半分が石川四高記念館(無料)になっています
2階建てでフロアで分けるのではなく、フロアの半分で分けているので不思議な造りですよね
内部は廊下や階段に当時の趣を感じることができますが、展示室は大きく変更されて会議室のようです
一部では当時の教室の様子などが復元されているコーナーもあります

正門のそばにあるピンクの小屋は、守衛のいた門衛所で1893年に建てられました
本館とは異なる様式でかわいい

本館とともに敷地内にあった物理化学教室と道場のある時習寮は明治村に移築されています
これは四高出身の2人、本館設計の山口半六と名古屋鉄道株式会社の土川元夫明治村の創設に大きく関わっていたことによります
ちなみに物理化学教室は門衛所と同じ木造桟瓦葺きでピンクの木造

明治村のある愛知県犬山市は旧尾張藩
金沢と尾張はここでも繋がりがありました

しいのき迎賓館(旧石川県庁舎本館)

旧石川県庁舎本館は2002年まで使用され、2010年にしいのき迎賓館として開館
現在はカフェ、レストラン、ギャラリーなどが集まる多目的施設として活用されています

1924年竣工の鉄筋コンクリート造で矢橋賢吉が設計しました
登録有形文化財に指定されています

前面の外壁は薄茶色の愛知県武豊産のスクラッチタイルが使われています
一方背面はガラス張りになっており、金沢城の石垣や広い芝生が見えてとても開放的
夜は石垣がライトアップされるので昼夜問わず楽しめる、意匠に凝った建築です

そして迎賓館の前には名前にちなんだシイノキもうわっていてシンボルになっています

漆の石川県地図と階段

内部は大理石が多用されており堅牢そのもので、階段もダイナミックでモダンな造りです
一段一段、この重さを噛み締めながら上がります
上がったところに“漆の石川県地図”という衛星写真をもとに漆で塗った地図が飾ってあります
肉眼で見ると光り輝き、権威を感じるものです

ドアは豪華とまではいかないが、一工夫が感じられます
ステンドグラスが他の素材と調和するような自然な色合いで、すりガラスの繊細な模様もあり、心安らぎます

石川県立美術館 広坂別館(旧陸軍第九師団長官舎)

1922年、加賀藩筆頭家老本多氏の上屋敷の跡地に建てられました
近くに他にも陸軍の施設が建てられていたことから、金沢は軍都でもあったと言えます

登録有形文化財に指定されています
写真では見づらいのですが、鮮やかなコバルトブルーの屋根瓦が特徴的です
正面にはハーフティンバー様式の切妻屋根があります
内部は白と茶のコントラストが上品です
当時の照明器具やマントルピースが残されているお部屋もあります

かつては正面向かって左側に和館もくっついていましたが、1962年に撤去されています
もしあったなら、より一層重要な建造物として保存されていたことでしょう
、、、惜しいです

併設の石川県文化財保存修復工房では、文化財の補修を行っており、一部公開されています
工芸の街ならではの試みですね

国立工芸館(旧陸軍第九師団司令部庁舎、旧陸軍金沢偕行社)

皇居近くにあった東京国立近代美術館工芸館の機能が2020年金沢に移転された際、これらの建物を使用することになり、国立工芸館として開館しました
国立工芸館は明治以降の工芸品を専門とする美術館です
旧陸軍第九師団司令部庁舎旧陸軍金沢偕行社、2つの建物で1つの美術館をなしています

上記の石川県立美術館と同じ本多の森公園の敷地内にあり、他の施設とともに文化の発信拠点になっています
そしてほど近くには、こちらも目を引く赤煉瓦の石川県立歴史博物館(旧金沢陸軍兵器支廠ししょう)があります
陸軍の兵器庫だった建物です
あたりは広場になっているのでただ歩いているだけでも心地よい場所
今回は時間の制約で中には入れなかったですが、次回は是非とも伺いたいスポットです

旧陸軍第九師団司令部庁舎

1898年金沢城内に建てられ、司令部の執務室として利用されました
陸軍経理部が設計し、登録有形文化財に指定されています
外観はシンメトリーの造りで、ペディメント(破風)、ピラスタ-(装飾用の付け柱)、上下窓などルネサンス様式を取り入れているのが特徴
元はコの字型の建物でしたが、1968年に移築する際、両翼をなくして正面部分が残されました
その後、国立工芸館の移転に向けた改修で両翼を復元しています
また、外壁の塗装も当初の色に塗り直しています

小さい部屋がいくつもあることから、現在は展示室として利用されています

欅で造られた階段は創建当初のものでとても頑丈そう
照明も華やかだが完全オリジナルではなく、前身の東京国立近代美術館工芸館があった旧近衛師団司令部庁舎にあるものを参考にしたそう

旧陸軍金沢偕行社

偕行社というのは陸軍将校の研究や団結などを目的とした組織です
将校の社交場として各司令部のある地域に偕行社と呼ばれる施設が設立されました

この建物自体が2つの建物から成り立っていました
正面部分は1909年金沢市石引に建てられ、背面は歩兵第七連隊の将校集会所を講堂として移築してきて結合
陸軍将校の社交場として利用されました
陸軍経理部が設計し、登録有形文化財に指定されています
外観は2階部分にあるコリント式のピラスタードーマーウィンドウ(屋根にある小さい窓)がバロック様式です
旧陸軍金沢偕行社時代は、逆T字型の造りだったのを1970年に背面である講堂部を撤去
その後、こちらも国立工芸館の移転に向けた改修で講堂を復元しています
また、外壁の塗装も当初の色に塗り直しています

マンサ-ド風の屋根を持つ中央棟の左右に,寄棟の翼屋が付く構造になる。コリント式のピラスターやドーマー窓等バロック風の技巧的な装飾を用いた外観意匠は,全体として華やかで優れている。明治42年に現在地に移築したと伝える。設計は,陸軍経理部。登録有形文化財に指定されています
コリント式(古代ギリシア建築の建築様式)のピラスター(付け柱)、屋根に小さな空間を設けて取り付けられたドーマーなどバロック風の技巧的な装飾が優美さを醸し出しています
明治31年に金沢市大手町に築かれ、明治42年に現在地に移築されています
平成19年からは石川県立歴史博物館の分室(収蔵庫)として活用

司令部庁舎と比較して大きいお部屋、多目的室があり、一部不定期に一般公開しています

いずれも外観は創建当初の姿に近い形まで復元されているんだね
当時の息吹が感じられる貴重な場所だな

国立工芸館の前身・東京国立近代美術館工芸館だった場所は、東京国立近代美術館分室という扱いに変わっています
旧近衛師団司令部庁舎で皇居近くの北の丸公園の一角にあり、後日皇居の一般公開時に訪れています
現在は内部公開は去ることながら、外観も柵越しにしかみれませんが、足を運ぶ価値のある建物です

今回は公の建物でした
和のイメージが強い金沢ですが、洋館がこんなに現存しているとは驚きでした
まだ今回載せられなかった、探訪できなかった洋館もあります
これはいつかのお楽しみにしましょう

次回は市民に近い存在の建物を巡ります
ありがとうございました!

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