ぴーやん・もーの台湾旅行
安平地区
安平地区は台湾の歴史的な地域で、台北よりも前に政治の中心だった場所です
その歴史は5つに分類されます
- オランダ植民地時代 (1624-1662):
安平地区の歴史の始まりは、オランダ東インド会社が台湾に進出し、安平に要塞を建設した1624年にさかのぼります。安平は当初、ゼーランディア城と呼ばれるオランダの拠点が置かれた場所でした。オランダは台湾を約38年間支配しましたが、明朝から台湾を奪った鄭成功によって1662年にオランダは追放されました。
- 鄭氏時代 (1662-1683):
鄭成功は明の忠臣であり、オランダから台湾を奪還した後、台湾の実質的な支配者となりました。鄭成功の死後、彼の子孫によって「大西国」(大西国王)として知られる郑氏王朝が台湾を支配しました。しかし、1683年に清朝によって台湾は征服され、清朝の統治が始まりました。
- 清朝時代 (1683-1895):
清朝は台湾を広東省に統合し、安平は漢民族の漁村として発展しました。この時代、安平は台湾の商業港として栄え、多くの商人や移民が集まりました。また、安平古堡が清朝によって再建されました。
- 日本統治時代 (1895-1945):
1895年、清朝が日本に降伏し、台湾は日本の統治下に入りました。この時期、安平は台湾総督府の支配下にあり、都市計画や建設が進められました。安平渓や安平樹屋などの歴史的な建築物がこの時期に建てられました。
- 中華民国時代 (1945年以降):
日本の敗戦後、台湾は中華民国の統治下に入りました。安平はその後も歴史的なエリアとして観光地として知られ、古い街並みや歴史的な建造物が保存されています。
安平地区の歴史は、異なる文化や時代の影響を受けながらも、多様性と独自性を持つものとなっています。
至るところで見かける安平剣獅?
剣を咥えた獅子のモチーフがよく見かけます
中には、お店のキャラクターになっているものもあってかわいいです
清朝に大陸より伝来した文化の一つで、門や壁などに置かれる魔除け
今では安平地区を代表するモチーフになっています
ゼーランディア城(安平古堡)(おすすめ★★★★★)
- オランダ植民地時代の城趾
その後も政治・軍事の中心となった場所 - 料金
大人70元
子ども35元 - 営業時間
8:30〜17:30 - 住所
新竹市東区中央路116號
オランダ植民地時代
1624年、オランダ東インド会社は台湾に到達しました
オランダ人が東南アジア貿易の基地として利用するため、安平に要塞を建設することを決定、1634年には要塞が完成
これがゼーランディア城です
城の北側に残された半円形の城壁と井戸です
井戸は城と海を上下で繋ぎ、火攻めにあった際の対策として造られました
一部城壁が残っています
使われているレンガは同じくオランダの植民地だったインドネシアで製造されたもの
それを砂糖水やもち米汁、砂などを混ぜ合わせたものを塗って重ね上げました
そのほかにはサンゴが使われた壁もたくさんあります
網の目からサンゴのゴツゴツが見え、なんだかメロンの皮みたい
ガジュマルの根が侵食し、壁と一体になっている様子もよく見られます
鄭氏時代
鄭成功率いる明朝の残党がオランダに反乱を起こし、オランダと激しい戦闘が繰り広げられました
1662年に鄭成功はオランダ軍を撃破し、台湾を奪還しました
そしてゼーランディア城は王城と改められました
この時代に政治や経済の中心は台湾北部へと移っていき、王城の荒廃が進みました
像が建立されたのは鄭氏時代ではありませんが、鄭成功を讃えられています
清朝時代
1683年、清朝が鄭成功の子孫を鎮圧し、台湾を統一
安平古堡は清朝時代に修復され、台湾を守るための要塞として再利用されました
清朝末期には日本の台湾侵攻が始まり、それに抵抗するため外郭を壊して砲台の材料に転用しました
白い建物はゼーランディア城博物館
清朝時代に台湾は開港し、1882年外国商人がここに税務司署を置きました
清朝時代に造られた大砲
1930年に日本が他所から観賞用として移しました
日本統治時代
1895年日本が清朝に勝利し、台湾を統治し始めます
当時ゼーランディア城はひどく荒廃していました
そこで日本が修復に着手し、現在の姿に近くなります
展望台とその隣には史跡記念館がありますが、それらも日本統治時代に建てられたものです
展望台は第二次世界大戦中に日本が防空監視塔として建てられ、戦後も残されていました
史跡記念館は1930年に執り行われた台湾文化300年記念式典のための展覧施設として建設
日本が建てた石碑
元はある日本人を讃えるものでしたが、戦後に安平古堡の文字に彫り直され今に至ります
史跡記念館は資料館とお土産物屋さんになっています
和瓦を葺いた和洋折衷様式です
中華民国時代
現在の展望台は戦時中に建てられた防空監視塔を観光目的で壁を白く、屋根も加え、その役割を変えていきました
展望台からの景色は安平地区が一望できます
360°見渡せるので、是非登ってみましょう
安平樹屋・徳記洋行(おすすめ★★★★)
- イギリス商人が設立した商社の社屋・倉庫
- 貿易の地としての歴史を知ることができる
- 料金
大人50元
子ども25元 - 営業時間
8:30〜17:30 - 住所
台南市古堡街108号號
徳記洋行のかんたん歴史
1865年に安平が開港し、多くの外国商社が拠点を置くようになりました
そのうちの一つがイギリスの徳記洋行で主に茶葉、アヘン、樟脳、砂糖などを扱い栄えました
同時期にできたイギリスの和記、怡記、アメリカの唻記、ドイツの東興と併せて安平五大洋行と呼ばれました
日本の統治が始まるとアヘンや樟脳が台湾総督府の専売に変わります
こうして徳記洋行はいくつかの商権を失って安平から撤退
代わって台湾総督府専売局から指定を受けた大日本塩業が塩田の開発、集荷拠点にします
戦後に台湾製塩総廠が所有も、移転したのちは荒廃してしまいます
しかし、台南市政府によって改修・整備が進められて、安平の貿易史を発信するスポットになっています
徳記洋行
ちょうど行ったときは改修工事中で一部のみ公開
公開されていた1階部分は、当時行員宿舎として使われていた空間
展示室となった今では、徳記洋行の歴史や当時の人々の暮らしを学べるコーナーになっています
使用されていた調度品も展示されています
コロニアル建築を楽しむことができます
安平樹屋
かつて徳記洋行の倉庫として使用されていました
戦後しばらくは使われていましたが、使用者の台湾製塩総廠が移転すると徐々に荒廃してしまいます
そしてガジュマルが倉庫の壁を這い、覆い尽くすと飲み込むように一体となっていきました
ガジュマルがここまで侵食したのは、倉庫のレンガに含まれる砂糖水と灰と相性がガジュマルにとってよく成長を促進させるものだったから
今では一部の壁と鉄骨が残っている程度で、ガジュマルの生命力の強さを窺えます
後から造られたブリッジ歩道から、上からも様子を見学することができます
外から、内から、上から、とさまざまな角度で観察して時の流れを感じるのも面白いです
樹屋咖啡
敷地内にあるカフェ
こちらで一息つくのはいかがでしょう
室内は明るく落ち着いた雰囲気で素敵です
アイスクリームのテイクアウトもでき、人気なスポットになっています
スーベニアショップ
お土産物屋さんには小さいギャラリーも併設されています
周辺の古い写真が展示されていました
東興洋行(おすすめ★★)
- 安平五大洋行の一つ
- ドイツの商社
- 入館不可
- 住所
台南市安平區安北路233巷3號
平屋の煉瓦造り、白漆喰塗り
下部はサンゴの壁になっています
ここでもサンゴが使われていますね!
周囲の緑豊かな様子と建物の色が見事にマッチしていて、穏やかな南国を感じる風景になっています
若晞茶空間(旧台鹽日式宿舍)(おすすめ★★)
- 日本統治時代の住居(のち復元)
- 現在はカフェとして営業
- 営業時間
10:00〜18:00
(火)、(水)定休 - 住所
台南市安平區安北路233巷1弄12號
1917年前後に建てられた元台湾総督府専売局台南支局安平分室長官の住居
戦後台湾製塩の宿舎として利用
他と違いコロニアル建築ではなく、日本様式の木造建築なのが特徴です
復元されている模様
運河博物館(旧台南運河安平税関)(おすすめ★★)
- 日本統治時代の税関
- 現在はアート空間
- 営業時間
10:00〜18:00
(月)定休 - 住所
台南市安平區安北路233巷1弄12號
1926年に台南新運河が開通
1930年に税関はここに移ってきました(建物も移転されたのか、新たに築いたか不明)
業務量が多くなかったため簡素な建物になっています
戦後も一時的に利用されましたが、税関機能は移転し現在の公開に至ります
赤レンガに日本瓦が映えます
そしてなんといっても入り口の両脇にある大きなガジュマルが台湾らしさを全面に出しており、一見してさまざまな歴史や文化を汲み取ることができます
ぴーやん・もーの台湾旅行まとめ
入国前
滞在中
帰国時
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